深大寺の釈迦如来椅像のミステリーに挑んだ貴田正子さん=奈良市で2021年6月16日午前11時41分、花澤茂人撮影 深大寺の国宝・釈迦如来倚像=深大寺提供  東日本最古の国宝仏像、深大寺(じんだいじ)(東京都調布市)の釈迦如来倚像(しゃかにょらいいぞう)。

白鳳(はくほう)時代(7~8世紀)を代表する仏像の一つだが、来歴は謎に包まれている。

6月、そのミステリーに一石を投じる『深大寺の白鳳仏 武蔵野にもたらされた奇跡の国宝』(春秋社)が刊行された。

著者のノンフィクション作家、貴田正子(きだまさこ)さん(51)がたどり着いた「謎解き」とは。

   ■  ■  貴田さんと白鳳仏の縁は深い。

産経新聞の記者のころ、戦中に盗難に遭い行方不明のままの新薬師寺(奈良市)の白鳳仏・薬師如来立像(通称・香薬師(こうやくし)像、重要文化財)の複製と出会い魅了された。

光明皇后が大切にしていたと伝わる像。

退社後も行方を捜す取材を続け、6年前、神奈川県鎌倉市の寺で本物の右手部分を発見し話題となった。

 「今回もあの発見がきっかけでした」。

深大寺像(像高約84センチ)と香薬師像(同約73センチ)、さらに法隆寺(奈良県斑鳩町)の観音菩薩(ぼさつ)像(通称・夢違(ゆめちがい)観音像、国宝、同約87センチ)は大きさや作風が似通い、同一工房で造られた可能性が指摘される。

その中で深大寺像だけが関東に伝来。

深大寺は奈良時代の創建とされるが、火災で資料が失われ像の来歴ははっきりしない。

「当初はトップクラスの貴族に関わる像だったのは間違いない。関東に移される理由があったはず」と貴田さんは力を込める。

   ■  ■  取材のきっかけは国宝指定を記念し2017年6月に開かれた講演会。

仏像研究の大家、水野敬三郎・東京芸大名誉教授が、像をもたらした人物の候補として「高倉福信(たかくらのふくしん)」の名を挙げたことだ。

 高倉福信(709~789)は武蔵国(現在の埼玉県、東京都、神奈川県の一部)の渡来系豪族出身で、「続日本紀(しょくにほんぎ)」にもたびたび登場。

貴田さんはその記載を丹念に追った。

少年の頃におじに伴い奈良へ。

相撲の巧みさが朝廷にまで届き召されることになったという。

その後、天皇周辺の警護役、皇太子周辺の世話をする役所の次官などに抜てきされ、上級貴族である「従三位」まで上り詰めた。

 「相撲がきっかけで出世したのもユニークだが、政争が多かった時代に失脚することなく奈良時代最後の桓武天皇にまで仕えている。有能なだけではなくて魅力的な人だったのでしょう」と想像を膨らませる。

 貴田さんは福信と光明皇后とのつながりを指摘する。

「天平19(747)年に福信は『肖奈(しょうな)王』という王姓を賜るが、その年は聖武天皇は体調が悪く、光明皇后の意思だった可能性がある。2年後には光明皇后のための組織『紫微中台(しびちゅうだい)』の次官にもなっている」  推理は福信と深大寺のつながりにも及ぶ。

江戸時代に書かれた深大寺の縁起によると、武蔵国の長者の娘と「福満(ふくまん)」という少年が困難を乗り越えて結ばれ男の子が生まれ、その子が「満功(まんくう)上人」となって寺を開いたとされる。

貴田さんは資料を調べ、福信の父親が「福光」と書かれていることを発見。

「福満も福光も『フクミツ』と読め、同一人物なのでは。満功上人は福信のお兄さんになる」。

出世を遂げた福信が光明皇后の周辺で大切にされていた像を授かり、兄が開創した深大寺にまつった。

これが貴田さんがたどり着いた結論だ。

本書ではさらに、像を念持仏としていた別のある高級貴族も推理している。

   ■  ■  この「謎解き」について水野名誉教授は「推測に推測を重ねているので論証したとは言えない」としながら、「推測に無理な部分はなく、歴史ロマンとして人を引きつける。研究の世界にも一石を投じるのでは」とたたえる。

 深大寺の張堂興昭(ちょうどうこうしょう)住職(44)は「寺と奈良時代の中央との結びつきを示す説として表に出していきたい」と喜ぶ。

昨年亡くなった父で先代住職の完俊さんも取材の行方を気にしていたといい「真相に近づく端緒ができたと喜んでいるはず」と語る。

 貴田さんは「専門家ではない自分にできるのは、とことん調べることと想像力を膨らませること。この本を読んだ方もそれぞれの謎解きをしてほしい」と笑顔を見せた。

 『深大寺の白鳳仏』は四六判、232ページ。

1980円。

【花澤茂人】 毎日新聞 2021/6/28