炭化した小麦の種子が出土した甘樫丘東麓遺跡(2012年2月、明日香村で)=奈良文化財研究所提供 見つかった炭化した小麦の種子。

弥生・古墳時代のものより大型とわかった(奈良文化財研究所提供) ■甘樫丘東麓遺跡で出土、奈文研分析  弥生時代に日本に伝わった小麦が7世紀前半(飛鳥時代)に大型化していたことが、 甘樫丘東麓(あまかしのおかとうろく)遺跡(明日香村)で出土した小麦の種子を奈良文化財研究所が分析し、判明した。

朝鮮半島から大型の品種がもたらされ、粉食する文化が広がった可能性もあるという。

不明な部分が多い古代日本での小麦栽培の歴史を考える資料になる。

(関口和哉) ■栽培の歴史知る資料  甘樫丘東麓遺跡は、古代の大豪族、蘇我 蝦夷(えみし)・入鹿(いるか)父子の邸宅跡との説がある。

2011~12年、奈良文化財研究所が発掘調査を実施し、倉庫跡の可能性がある土壌から、7世紀前半の炭化した小麦の種子約190点が出土した。

 種子を計測したところ、長さの平均3・94ミリ、幅の平均2・76ミリで、弥生時代や古墳時代の遺跡から出土した小麦の種子より20~30%、大きかった。

 世界各地の遺跡から出土した小麦の大きさは、西アジアやインドなどが大型で、中国東部は小型という特徴がある。

弥生・古墳時代の日本の小麦は、中国東部のものと合致している。

 その一方、同時期の朝鮮半島のものは大型の特徴があり、甘樫丘東麓遺跡の種子は、その大きさに近い。

こうしたことから、同研究所は7世紀前半、朝鮮半島から新品種がもたらされた可能性が高いと推定した。

 日本では8世紀になると、小麦が正倉院文書などの文献記録に登場し、粉食されたり、のりに利用されたりしていたことがわかっている。

だが、7世紀以前の記録はなく、利用の始まりや栽培の過程は、ほとんどわかっていない。

 調査した奈良文化財研究所の庄田慎矢・国際遺跡研究室長は「小麦は雑穀の一つだったが、新品種の伝来で穀物としての重要性が増し、利用が拡大したと考えられる。今後、DNA分析などで、より 精緻せいち なデータを得たい」と話している。

 木下正史・東京学芸大名誉教授(考古学)の話「今回の成果から、朝鮮半島を経て粉食文化が日本に伝わったのではないかと考えられる。飛鳥時代は食文化においても大きな変革期であったことを示している」 読売新聞 2021/06/26 05:00