日本は、ふたつの大きな課題の間で引き裂かれている。

ワクチン接種の遅れと、またそれを含めたコロナ対応の大幅な立ち遅れという現実。

もうひとつは、オリ・パラを何が何でも強行するという方針だ。

国外からの観客を諦めるという決断は早かったが、 パンデミックの終息どころか第5波の不吉な予兆の中、国内からの観客上限、会場での酒類販売などをめぐって手探りが続いている。

なんでこんなことになったか。

結論を先取りして端的に言えば、「意思決定の統合」ができなかったからだ。

残念ながら本稿も後付けの分析に過ぎないが、この意思決定の統合問題は今回に限らず、 現代社会が今後も直面する大きな問題と予測できる。

また日本の政治・官僚機構がその構造上、特に苦手とする問題に見える。

将来のために少しでも掘り下げておきたい。

お忘れかもしれないが、国内でのワクチン接種の遅れが問題化したのは比較的最近、「ここへきて急に」のことだ。

というのは他でもない、接種の進んでいる先進国での感染抑制の効果が出てきて、にわかに「日本は何をしているのか」という流れになった。

実際ワクチンの接種が早く進んだイスラエルや米国では、その効果が今年2、3月には統計にはっきりと現れてきた。

欧米諸国も国ごとに事情はちがうが、おしなべて初期の感染爆発で(皮肉なことに)集団免疫の下地が出来ていた。

そこへワクチン接種の効果が重なり、感染率が沈静化した。

ではなぜ、日本ではワクチンの開発・接種が軽視、あるいは少なくとも後回しにされたのか。

納得できない、と思った向きも多いはずだ(筆者自身を含め)。

医学・生物学のレベルは高く、公衆衛生も医療体制の面でも、先進国ではなかったのか。

もちろんワクチン開発・安全確認には時間がかかるが、それは欧米とても同じだ。

そして、どこよりも早くコロナ禍を鎮静化させたい特別な理由が、日本にはあった。

一度延期したオリ・パラの開催という理由だ。

だがこの最後の理由が、接種促進の方に十分働かなかった。

米国の場合、ファイザーやモデルナ製ワクチンは実はFDA(米食品医薬品局)の正式認可を受けていない。

緊急使用の認可だけで、接種はあくまでも個人の選択(自己責任)とされる。

「副作用で1人死ぬか、コロナ感染で100人死ぬか」という緊急事態で、拙速と批判されることを怖れず米国は決断し、日本はできなかった。

それどころか、過去の前例を重視する腰の重い省庁体質や、医師会と厚労省官僚・厚労族議員の間の持ちつ持たれつの構造が、 むしろ先送りする方向に作用した疑いもある。

国内メーカーによる独自のワクチン開発も遅れた。

海外のワクチン導入についても、承認手続きや契約事情で国内・国外の規格のちがいが大きく、障害となった。

オリ・パラをどうしても強行したいなら、これまでの保守的な認可手続きや過去のワクチン副作用訴訟などの経緯を捨て、 リスクをとってもワクチン接種を早期から実施するべきだった。

逆にこれまでの「慎重な」医療行政をどうしても優先するなら、オリパラはあくまでも大幅延期か、いっそ中止するべきだった。

繰り返しになるが、この両者は端的に両立しない。

そしてごく最近になるまで、そのことに誰も気づかなかった。

下條信輔(しもじょう・しんすけ) 認知神経科学者、カリフォルニア工科大学生物・生物工学部教授 カリフォルニア工科大学生物・生物工学部教授。

認知神経科学者として日米をまたにかけて活躍する。

1978年東大文学部心理学科卒、マサチューセッツ工科大学でPh.D.取得。

東大教養学部助教授などを経て98年から現職。