◆ 「御礼と謝罪ができない」リベラルが酔う「清々しい敗北感」とは 『なぜリベラルは敗け続けるのか』岡田憲治氏に聞く #2 ■ 社会人としての基本ができてない ――『なぜリベラルは敗け続けるのか』は、保守の立場からしても耳が痛い指摘が多くありました。

保守とリベラルは断絶していて、まったく別の世界が広がっていると想っていたところ、実は考えが逆なだけで、本質はほぼ一緒、という。

岡田 そういうものなのでしょうね。

しかし「やはりここはリベラルが負けているな」と思うのは、「ありがとう」「ごめんなさい」がきちんと言えない人がリベラルには多いこと。

そして「時間を守る」「挨拶する」など、社会人としての基本ができていない人が多すぎることです。

驚いた顔をされていますが、実際にここから始めなければどうにもならないという現実があります。

御礼と謝罪ができない人があまりに多すぎる!本当ですよ。

こんなこともあります。

自民党の区議会議員が街頭演説をしているときに僕がヤジを飛ばしますね。

「何やってんだ、自民党は!」と。

すると、自民党議員はパッと走ってきて握手し、「勉強が足りませんでした!ありがとうございます」と言う。

もちろん私にお礼を言いたいのではなく、その姿を他の有権者に見せているわけです。

これは党の教育によるものなのかもしれませんが、自分をどう見せるべきかわかっている。

一方、一部の野党の議員の場合は「そんなことはありません!」と公然と言い返してきたりする。

言い返す権利はありますが、そこで私を論破しても全く意味がない。

その姿を見て他の有権者がどう思うか、という観点が欠けているのです。

――その文脈で出すのもナンですが、枝野代表が5月20日に刊行した『枝野ビジョン』(文春新書)も、率直に言って「読者をどう楽しませようか」とか「有権者に広く自分の理念を理解してもらうためにはどうすべきか」といった工夫やサービス精神が感じられない一冊でした。

「この本を有権者がどう読むか」が見えていないような気がします。

岡田 「また野党批判、枝野批判か」と言われかねないのですが、もう枝野さんには「僕の言葉は届かないんだろうな」という感じがします。

「顧客視点が全然ない」「正しいことを言う学者じゃなくて、人々に『自分を発見してくれた』と思わせる政治家になるべき」と言っても来ましたが、変化が見えません。

党内民主主義もかなり怪しいですし、2014年には「改憲枝野試案」を掲げたにもかかわらず、憲法議論も全くしない。

先日もBS-TBSの番組でご一緒し、直接、「わずかな消費税で実現できますから、大学の学費無償化を実現できませんか」と聞きましたが、常にまずこちらの話を否定するところから始まる。

聞いてみれば「大学までの無償化は党内で検討している」という結末に至るのですが、それなら「よくぞ言ってくれました、我々もその案は検討していて……」と話を盛り上げた方が、視聴者にも好印象を残すと思うのですが。

■ 泥にまみれても成果を挙げる気は? リベラル系の集会で、こんな調子で苦言を呈して、山本太郎を見習うべきだと言ったところ、護憲派・枝野支持者の女性たちにひどく怒られたうえ、彼女たちは怒りのあまり帰ってしまったことがありました。

そこで「みなさん、よくお分かりいただけましたね。あれが『なぜリベラルは負け続けるのか』の理由ですよ」と後日述べたらドカーンと大ウケ(笑)。

リベラルは「自分が純粋なことを言い続けて、結果、負ける」ことにカタルシスを感じている向きがある。

まさに「清々しい敗北感」ですよね。

正直で、崇高な理想を掲げる人物を多くの人は「立派だ」と褒めますが、こと政治においてはそうではありません。

泥にまみれても、政治的な成果を挙げる、つまり望ましい方向に現実を少しでも動かすことが政治的な評価を得られる唯一の方法です。

一方で、やはり保守の方が「お気持ち」で動きすぎているのではないかと思う面もあります。

――ネットなどでは保守側はリベラルを「お気持ち主義」といって批判していますが、保守側をどう見ていますか。

岡田 気がついたら、僕はいわゆる「30年前の自民党が言っていた立場」とさほど変わらないのです。

憲法に関しても、自衛隊が軍隊組織としての責任を取れず、自衛官個人に責任を押し付けることになりかねない自衛隊法の法整備と、その大本である憲法9条は改正すべきだという立場です。

▽引用ここまで。

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