80歳前後の大正期と思われる山県有朋の陸軍礼装姿(C)共同通信社 山県有朋による主権線と利益線から生じた「生存圏の拡大」  ヒトラーの野望はむろん、第1次世界大戦で失った領土、権威、秩序を回復し、さらには8000万のドイツ国民の生存のための空間を拡大することにあった。

そういう生存圏の拡大のために人種問題が意図的に用いられた。

ユダヤ人の抹殺を進めたり、スラブ民族への徹底した侮蔑意識による侵略行為、共産主義者や社会的弱者への社会からの排除などに表れているのは、ドイツ民族による生存圏の拡大に邪魔な存在は全て切り捨てるという残酷な思想体系の実践だった。

日本はそのドイツと最も近い距離を保ち、ヒトラーの妄想じみた野望に期待をかけて、日中戦争から太平洋戦争を経て、揚げ句の果てに国家壊滅まで突き進んだのである。

 第1次世界大戦と第2次世界大戦が連結していると考えると、日中戦争は大義のない戦争であるかに見えながら、実は日本が生存圏の拡大を企図していた戦争だったことに気づく。

実際に満州事変(昭和6年)の頃の国内世論を各種のメディアなどで追いかけてみると、生存圏を拡大するために仕方ないといった論が見受けられる。

例えば「少年倶楽部」(昭和6年12月号)の「満洲事変はなぜ起ったのでせう?」という記事では、少年と大人が交わす会話がそのままつづられている。

次のようにだ。

「どうして、そんなにたくさんの日本人が満州へ出ていくのでせう」 「日本の土地が狭いからさ。日本では人口がどんどん増えるのにそれだけの土地がない。どうしても外国へ働きにでなければならない。(略)どうしても満州へ出て行かなければならないんだ」 「でも、勝手によその国へ働きに出ることはいけないんでせう」 「それはいけない。けれど、日本人は、南満州で自由に住んだり、色々の職業を営んでもよろしいといふ権利を、支那から得ているのだ」  このやりとりから、満州事変時に国民各層の間に、この事変が日本のむちゃな行動のため、なかなか正義の論で説明できないとの疑問が生まれていたことがうかがえる。

そして訳知りの大人が説いたのは、生存圏の拡大という権利が「持たざる国」にはあるのだという論理だったのである。

むろん生存圏の拡大は帝国主義そのものの論理である。

この論理は明治24年の帝国議会で首相の山県有朋によって説かれた「主権線」と「利益線」に端を発している。

国家としての主権を守るために、その外側にもう一つ利益線をつくると山県は主張したのである。

それが昭和には、利益線も主権線としてしまい、さらには強者による「生存圏の拡大」は当然の権利と錯覚した。

(つづく)