今年3月でデビュー20周年を迎えたダンス&ボーカル・ユニット・w-inds.の橘慶太のインタビューが、同月24日にWEBメディア「新R25」(株式会社Cyber Now)に掲載された。

同ユニットは、2000年11月から代々木公園や渋谷でストリートパフォーマンスを開始し、01年3月のデビュー直前には、渋谷109前広場に8000人を動員。

デビューから3作目のシングル「Paradox」で、同年の「第43回日本レコード大賞」の最優秀新人賞を受賞。

02年には、紅白歌合戦に初出場を果たすなど順調に活動をこなしているように思われていた。

インタビュー記事によると、インタビュアーは「w-inds .は日本のメディアにはあまり出られなかった」と指摘し、「腐ってしまう瞬間はなかったのか?」と質問。

すると、橘は「もしデビュー当時の勢いのまま、テレビにバンバン出演させてもらってたら、僕はとっくに潰れてた」と答え、その状況を「本当にありがたいなと思ってる」と前向きに振り返った。

その後、同ユニットがアジアに活動の場を見出した理由を「追い打ちをかけるように日本のメディアに出られなくなって、活動をアジア全域に広げた」と告白したのだ。

「同ユニットがデビューした当時、ジャニーズ事務所の力は今とは比べものにならいほど強大で、自社以外の男性グループを各局の音楽番組に出さないように圧力をかけることぐらい朝飯前。そのおかげで、同じ事務所でw-indsの先輩グループのDA PUMPも、18年に再ブレイクするまでなかなか音楽番組に出られず。事務所の後輩ユニットも続々と売り出されたが、なかなかブレイクすることはできなかった」(芸能記者) 当時は公正取引委員会がジャニーズの不当な“圧力”に対して動くこともなかっただけに不遇の時代を過ごしたが、橘の告白は波紋を広げそうだ。

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