西川美和監督作品の映画「すばらしき世界」を見ました。

下町の片隅で暮らす、人生の大半を刑務所で過ごした元殺人犯。

不寛容と善意が織りなす人間関係の中で、愛も悲痛も、光も影も、全部ミキサーの中でかき回し、その場で一気飲みするような映画でした。

反社会的立場にいた方が更生し、社会復帰することが困難なのは、ある経験上、私は理解できます。

父の友人で、普通の会社員でしたが、若い頃にずいぶんやんちゃをして背中に入れ墨を背負った人がおりました。

海水浴に行っても、その人は服を着たまま子供たちと遊んでいました。

彼にとっては文字通り、「消せない過去」だった彫り物。

その後、その人は亡くなりました。

自殺で、しかも焼身自殺でした。

自ら、その入れ墨を燃やすことでしか過去を断ち切れなかったのか…。

多くの苦悩があった見当は子供でも分かりました。

私はその話を鮮明に覚えてます。

生まれながらの悪人などいませんよ。

育ってゆく過程で、さまざまな因縁の中で運命的に人は道からそれてしまう。

どうにも生きづらい人生を背負う方々が、唯一救われることがあるとするなら、 (最大限に陳腐だが、それでも書くことを許してください)それは「愛」しかないと私は思うのです。

「すばらしき世界」という映画が私たちに投げかけるもの、それは人間愛です。

その人間の「愛」を下世話な言葉にいたしますと、これまた陳腐だが、「共助」という言葉になるのでしょう。

いわば人間同士のコミュニティー、周りからの善意や思いやり、励ましなどがあったら、その人の人生は全く違うものになると思います。

役所広司さん演じる主人公、三上正夫はこの世の地獄から「すばらしき世界」を見いだしました。

しかし、それは身近な人たちからの熱い愛や思いがあり、本人のたゆまぬ努力があったからです。

「共助と自助」があって成り立った「すばらしき世界」。

 世間ではよく、「公助が大切だ」と言われるが、それには坂口安吾の「堕落論」での一節を引用すると… 「堕ちる道を堕ちきることによって、自分自身を発見し、救わねばならない。 政治による救いなどは上皮だけの愚にもつかない物である」。

これで大体の説明はつくと私は思います。

公助を決定する政治家さんたちも、公助を求めるテレビのコメンテーターにも、そこに「愛」はございません。

生活保護などのお金はありがたいが、本当に人を救うのは生活保護費よりも生身の人間からの「思いを持って、かける時間」だと私は思う。

桂春蝶(かつら・しゅんちょう)  1975年、大阪府生まれ。

父、二代目桂春蝶の死をきっかけに、落語家になることを決意。

94年、三代目桂春団治に入門。

2009年「三代目桂春蝶」襲名。

明るく華のある芸風で人気。

人情噺(ばなし)の古典から、新作までこなす。

14年、大阪市の「咲くやこの花賞」受賞。