(前略) 被災した故郷に戻り、農業を  「ほとんど収穫してしまいましたが、ここが畑です」。

仙台市若林区に住む堀江由香利さん(43)はすてきな笑顔で記者を迎え、畑に案内してくれた。

堀江さんは、東日本大震災で津波被害を受け、一時避難生活を余儀なくされたが、5年前に帰郷を果たし、新規就農した新米の農家さんだ。

現在は自営業の夫と中学生と小学生の子どもの計4人で暮らすが、農業に携わるのは堀江さん一人。

10アールの所有地と60アールの借地で野菜類を育て、地元のスーパーや農協に出荷している。

 震災前には、就農しようという気持ちはなかった。

祖父母の代までは農家だったが、両親は継がず、家の田んぼは委託したが、畑は耕作者不在。

両親も堀江さんに就農を勧めなかったため、短大卒業後は事務職に就いた。

 そんな堀江さんが、農業の道に進むきっかけになったのが震災だった。

 10年前の3月11日。

地震の激しい揺れの後、約3キロ先の海から大津波が押し寄せた。

家族は皆、職場や学校にいたため無事だったが、家財道具は家の内外に散乱。

親しい知人の親子も犠牲になった。

それはあまりにも突然で、堀江さんは「生きていただけで……命があって良かった」と思ったという。

(中略)  14年に離職し、就農者の養成機関である宮城県の農業大学校に2年間、聴講生として通った。

どの作物を主に出荷するか、それに適する畑の条件は何か、また収入になるのかを学び、農業経営の知識や販売の経験も積んだ。

 最初の1年は家事と勉強に追われる日々だった。

しかし、学ぶうちに、農業で自立することに故郷に暮らす意義を見いだすようになり、新規就農を意識した勉強内容に切り替えた。

 農業を始める場合、まず農業委員会を通して農地を借り受ける必要がある。

仙台市農業委員会では、個人が農業に参入する場合、最低でも50アール以上の経営面積が必要とされており、また、農地探しは自分で行うことになっている。

 つての少ない堀江さんには高いハードルだった。

しかし諦めることなく、農業大学校の友人らのつながりもあり何とか2カ所の借地、合計60アールを確保。

本格的な就農を果たした。

その決断について、夫や子どもたちは誰一人、反対をしなかったという。

(中略)  記者は、大学で野菜の栽培技術を学ぶ身ではあるが、一方で「農業=大変」だという固定観念があり、自分が実際に就農をする将来は思い描けないでいた。

しかし震災で一度は追われかけた故郷に戻り、かつての家業(農業)を復活させた堀江さんのお話を伺い、その決断力と行動力、「食」を支えるパワーに強い憧れを感じた。

【千葉大・谷口明香里、写真も】 「ビジネスというより好きでつながる」  毎月11日、東北の食材を味わい、東北に思いを寄せる「きっかけ食堂」が開店する。

その運営メンバーのほとんどは、10年前の東日本大震災発生当時は東北に縁もゆかりもなかった若者たちだ。

 「今からお肉を焼いていきますよ! とてもいい香りが漂っています」。

2月11日、オンライン開催された「きっかけ食堂@東京」で取り上げたのは、宮城県栗原市。

メンバーが都内の会場で地域の食材を調理する様子などをライブ配信。

サシの入ったぜいたくな「漢方三元豚」をはじめ、10種類の地元産食材が入ったバーベキューセットを紹介した。

 きっかけ食堂では、メンバーそれぞれの思い入れのある場所を紹介する。

(中略)  きっかけ食堂の始まりは2014年5月。

当時立命館大2年で、高校生の時から被災地の復興支援ボランティアに従事していた経験を持つ原田奈実さん(26)=NPO法人「きっかけ食堂」代表=が、ボランティアで出会った大学の同期生2人と立ち上げた。

「東北と関わり続ける場を提供したい」という思いで活動を絶やさず約7年。

なじみの生産者から旬の食材を調達し、おすすめの食べ方を聞いて来店客に振る舞う。

売り上げは活動資金に充てている。

 京都で始まり、現在では東京、愛知など9拠点まで拡大。

約20人の運営メンバーは学生と社会人が半々で構成されている。

 設立当初から一貫しているのは、震災の月命日に食堂を開くこと。

もちろん震災を踏まえての取り組みだが、直接的に「震災を考えよう」と言わず、「みんなで東北のおいしいものを食べよう」と呼びかける。

「食」を入り口にすることで誰もが参加しやすく、まさに東北に触れる“きっかけ”の提供を目指している。

(後略)【上智大・川畑響子】 毎日新聞 2021/2/24 09:30(最終更新 2/24 09:58) 4866文字