2/23(火) 13:02 FRIDAY 幻覚、幻聴、地獄の日々を超えて…芸人・ハウス加賀谷の現在地 ハウス加賀谷さん、16歳のとき統合失調症を発症。

闘病のなかで「正の力」で生きると定めた。

2月の誕生日で47歳になる 「ちゃんとしたハウス加賀谷ってなんだ?と思ったんです。ちゃんとしたハウス加賀谷なんて、だれも求めていない。そんなことに悩むのは、無意味ですよね」 統合失調症に苦しみ、精神科に入院。

幻聴や、幻のスナイパーに命を狙われる「幻視」の恐怖に震える毎日を送ったこともある、お笑い芸人のハウス加賀谷さん。

地獄のような日々から復活した彼の「言葉」が、今、多くの人を元気づけている。

◆再び「か・が・や・で~っす!!」が言えるまで 2月5日、お笑いコンビ「松本ハウス」は、新宿歌舞伎町の小さなライブハウスの舞台に立っていた。

ぶっきらぼうな印象の松本キックと、ピチピチのラメシャツにピチピチのピンクのパンツを身につけた坊主頭のハウス加賀谷。

40人ほどの観客に漫才をみせた。

1991年結成、テレビ番組『電波少年』でブレイク、人気絶頂だった1999年に、加賀谷さんは統合失調症で「芸人を廃業」した。

その後10年間を経て活動を再開したのだ。

「か・が・や・で~っす!!」と登場。

クールにあしらう松本さんの横で、汗だくになりながら加賀谷さんがボケる。

10分ほどの出番。

終演後の加賀谷さんは、数人のファンに囲まれていた。

「闘病中も舞台に戻ってくることだけを考えていました。10年かかってしまいましたけど、こうして舞台に立てて本当にうれしい。ずっと僕を待っててくれたキックさんには、本当に感謝です」 ◆きっかけは中学時代の「体が臭いのでは」という恐怖 1999年に統合失調症で舞台を去ったが、病気はこれが最初ではない。

加賀谷さんの病歴は長い。

最初に症状が現れたのは、中学2年のとき。

「『加賀谷、臭いよ』『カガチン、マジ臭いよ~』という幻聴が聴こえだしたんです。家族からどんなに『臭くない』と言われても、声は消えない。『ごめんなさい、ごめんなさい』と、いつも思ってました」 高校に進んでも幻聴は消えず、後ろから声が聞こえてくるため、壁にぴったりと背中をつけていないと歩けなくなった。

神経科に通院を始めた。

「ある日、学校の廊下が、波打って飲み込むように襲ってきたように見えたんです。もうダメだと思いました」 治療のため、16歳で自宅を離れてグループホームに入居。

ゆったりと時間が流れる共同生活のなかで、幻聴は少しずつ収まってきた。

ラジオを聴いて「漫才師になりたい」と思い立ち、バイトをしてお金を貯めて、大阪に行ってみた。

「大阪に行けた」ことから、グループホームを卒業。

オーディションを受けて大川興業に入り、松本キックさんと出会った。

17歳になっていた。

◆憧れだった「お笑い芸人」として認められたけれども 松本ハウスは、だんだん人気が出てきて、テレビにも呼ばれるようになった。

通院は続けていて、医師から処方された薬を飲みながら、仕事をしていた。

けれども、寝る時間もないほどの忙しさの「売れっ子芸人」になったころ、調子がいいときは、自己判断で薬の量を減らしたりしたのがいけなかった。

体調を崩してしまったのだ。

だんだん朝起きられなくなり、仕事にも遅刻するようになった。

「あるとき、窓の外を見たらスナイパーがいたんです。命を狙われている! 怖くて怖くて仕方ありませんでした。そのうち、時間の概念がくずれて、大事な仕事でも遅刻を繰りかえすようになりました。もう限界でした」 そして、1999年、コンビを解散し、入院生活に入った。

◆悪く考えるのはパブリックイメージにひきずられているから 入院から自宅療養を経て10年のブランクの後、復活。

しかしこれもスムーズにはいかなかった。

松本さんから台本をもらっても、セリフが覚えられない。

覚えたら、台本どおり言うことが精いっぱいで棒読みになってしまう。

3~4年前には体調を大きく崩して、1年に4回入退院を繰り返した。

「復活したからには、ハウス加賀谷をちゃんとやらなければいけないと、ずっと思っていたのに、できない。

悩みました。

>>2続く